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東京地方裁判所 昭和29年(レ)164号 判決

控訴人 大川博

被控訴人 中村友次郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

原判決は主文第一項に限り被控訴人において金五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項と同趣旨の判決及び仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出、援用及び認否は当審において次のとおり述べたほか原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

被控訴代理人は次のとおり述べた。

一、昭和二十七年一月八日付の契約解除の内容証明郵便は被控訴人と中村ひての両名名義である。

二、転借人の渡部栄隆は昭和二十七年三月一日本件家屋から他に転居した。

控訴代理人は次のとおり述べた。

一、控訴人が昭和十九年十月中被控訴人の先代中村勇治郎から本件家屋を借り受けたこと、中村勇治郎が昭和二十五年二月十六日死亡したこと、被控訴人が昭和二十八年三月十日遺産分割の結果本件家屋を相続し同日相続による所有権取得の登記をしたこと及び昭和二十七年一月八日付の契約解除の内容証明郵便が被控訴人及び中村ひての両名名義であつたことは認める。

二、控訴人は渡部栄隆に対して本件家屋を転貸した昭和二十六年十一月二十二日に同人と共に被控訴人に面会し転貸についてその承諾を得た。仮にこの主張が認められないとしても控訴人は被控訴人が承諾することを予想して転貸したものであつて、転貸後直ちに被控訴人に対して承諾を求めたがこれを拒絶されたので昭和二十七年一月渡部栄隆を他に転居させ、その後第三者に転貸したことはないから、原審において主張した理由により被控訴人のした契約解除はその効力の発生を阻止されると解すべきであつて、仮にこの主張が認められないとしてもこの事実と原審において主張した事情とを合せ考えるときは被控訴人のした契約解除は権利の濫用として許されない。原判決はこれらの点を看過した違法があるから取り消さるべきである。

理由

一、被控訴人の先代中村勇治郎が昭和十九年十月中その所有であつた本件家屋を控訴人に対して賃料一月金三十五円、毎月末日払と定めて期間の定なく賃賃したこと、中村勇治郎が昭和二十五年二月十六日死亡したこと、その共同相続人が被控訴人、中村ひて及び中村志つの三名であること、被控訴人が昭和二十八年三月十日遺産分割の結果本件家屋を相続し同日相続による所有権取得の登記をしたこと、控訴人が昭和二十六年十一月二十二日渡部栄隆に対して本件家屋のうち六畳及び八畳の二室を賃料一月三千円と定めて転貸したことは当事者間に争がない。

二、そこで、控訴人が転貸について被控訴人の承諾を得たかどうかの点について考えてみると、原審における証人渡部栄隆、渡部富子、及び大川英子の各証言並びに原審における被控訴本人及び控訴本人各一、二回尋問の結果(但し被控訴本人及び控訴本人の供述中信用しない部分を除く。)を総合すると次の事実が認められる。

控訴人が本件室を渡部栄隆に対して転貸するについては、あらかじめ被控訴人の承諾を得ておかなかつた。控訴人は渡部が未知の他人であるにかゝわらず、このことを知らせては被控訴人から転貸の承諾が得られないことを知つていたので渡部に対しては親類の者だというようにいゝ含めておき、転貸の翌日すなわち昭和二十六年十一月二十三日頃渡部の妻富子と共に被控訴人方を訪問し、渡部が控訴人の遠い親類の者だと偽つて転貸の承諾を求めたが被控訴人に拒絶された。その後控訴人は同年十二月中再び渡部と共に被控訴人に対して転貸の承諾を求めたが前と同様に拒絶された。そこで渡部は被控訴人に移転先を世話してもらい昭和二十七年三月はじめ頃他に転居した。

被控訴本人及び控訴本人の供述中この事実に反する部分は信用することができず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。従つて、控訴人の転貸について被控訴人の承諾がなかつたことは明らかである。

三、控訴人はこの転貸が昭和二十七年一月に終了し控訴人の義務違反は治癒されているから賃貸人と賃借人との間の信頼関係は破壊されていないと抗争するけれども、先に認定したように、控訴人は未知の他人である渡部栄隆に転貸しておきながら同人を親類の者であると偽つて被控訴人から転貸の承諾を得ようとしたものであり、しかも渡部が昭和二十七年三月はじめ頃他に転居したのは被控訴人の世話によるものであつて、控訴人がみずから努力して転居させたものと認めるに足りる証拠はない。他に控訴人が被控訴人との信頼関係を回復しようと努力した事情も認められない以上、控訴人の主張は到底採用することができない。

また、控訴人は被控訴人が本件家屋を必要としないのに反し、控訴人が本件家屋を明け渡すときは生活の基礎を失うから解除権の行使は権利の濫用であると主張するが、控訴人がそのような事情にあることを認めるに足りる証拠はないのみでなく、前認定のような事情の下における賃貸借契約の解除は当然許される権利の行使というべきであつて権利の濫用を云々する余地はない。

四、次に、中村勇治郎名義の昭和二十六年十二月十八日付同月十九日到達の内容証明郵便及び被控訴人と中村ひて両名名義の昭和二十七年一月八日付同月九日到達の内容証明郵便をもつて控訴人に対して無断転貸を理由とする賃貸借契約解除の意思表示がされたことは当事者間に争がない。

被控訴人は中村勇治郎名義の解除の意思表示について、経験則上中村勇治郎の共同相続人である被控訴人、中村ひて及び中村志つの意思表示とみなされるから有効であると主張し、控訴人は死亡者名義の意思表示であるから無効であると争うので、まずこの点について考察する。

およそ意思表示の当事者は特定現存の人に限られることは当然であるから、死亡者名義を用いた意思表示は通常無効といわなければならないが、相続人その他死亡者の有した権利義務を承継した者がその権利義務について死亡者名義でした意思表示は特に相手方においてそのことを意思表示到達のときに知つていたときに限りその者のした意思表示としての効力を有すると解すべきであつて、死亡者名義の意思表示を当然相続人の意思表示とみなすべき経験則は存在しない。ところで中村勇治郎名義の解除の意思表示が行われた昭和二十六年十二月当時は共同相続人である被控訴人、中村ひて及び中村志つが本件家屋を共有して控訴人に対する共同賃貸人の地位にあつたことは前記のとおりであつて、控訴人がその事実を意思表示到達のときに知つていたことを認めるに足りる証拠はないからこの意思表示は無効といわなければならない。

五、次に被控訴人は被控訴人及び中村ひて両名名義の解除の意思表示について民法第五百四十四条の適用がないから有効であり、仮にこの意思表示が無効であるとしても本件訴状送達によつて契約解除の効力が生じたと主張し、控訴人は契約の解除は民法第五百四十四条によつて共同賃貸人全員からすることを要するにもかかわらず前記の意思表示は中村志つの意思表示を欠くから無効であると争うので、以下この点について考察する。

原判決は、民法第五百四十四条第一項は解除の結果法律関係が複雑化することを避けることを目的とする規定であるから遡及効を有しない賃貸借契約の解除には適用すべきでないとするが、この見解はそのまま採用することができない。しかしながら、共有者が共有物を目的とする賃貸借契約を解除することは民法第二百五十二条にいう共有物の管理に関する事項に該当すると解するのが相当である。従つて、この限りにおいて民法第五百四十四条第一項の規定は、その適用が排除されることになる。ところで、成立に争のない甲第二号証によれば、被控訴人及び中村志つは中村勇治郎の子であり、中村ひては勇治郎の妻であることが認められるから、その持分はいずれも三分の一ずつである。それ故その過半数を占める被控訴人及び中村ひて両名名義の解除の意思表示は有効であることが明らかであつて、この意思表示が控訴人に到達した昭和二十七年一月九日限り本件賃貸借契約は終了したものといわなければならない。

してみると、控訴人は相続開始の日である昭和二十五年二月十六日に遡つて本件家屋の賃貸人の地位を承継した被控訴人に対してこの家屋を明け渡すと共に、賃貸借終了の翌日である昭和二十七年一月十日から明渡のすむまで約定賃料(これが一月金八百五十円に値上げされていたことは成立に争のない乙第一号証から第五十号証までによつて明らかである。)と同額の一月金八百五十円の割合による損害金を支払う義務がある。

六、よつて、これと同一の範囲で被控訴人の請求を認容した原判決は結論において正当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古関敏正 田中盈 宮脇幸彦)

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